独白 其の拾

 新しい年が明けました。皆さん、お元気!

 今ひとつ晴れ晴れとした気分にはなりきれない今日この頃ですが、せめて自分の周りの人達には、少しでもいい気分をと今年も頑張ってペンを執ります。

 ひとりひとりの力は知れたものかもしれませんが、一人の力が二人、三人を動かして、しっかりと手をつないでいけば、まんざら捨てた世の中でもないのではないでしょうか。こうして文章を書いていても、言葉という字をかき集めて、つなぎまとめていけば、いつしか文章になっております。悲しいかな、自分の言葉は何なのかわからず、色々な本や雑誌、漫画などを読み漁ったり、いい顔した人達との会話から知り得たいい言葉・文句が私の財産なのです。

 あれこれ文句を言ってないで、ちょっと本気を出し合えば、険しい道も開けるのではないでしょうか。険しい道だからこそやりがいがあるのです。

 こんな身も 拾う神あり 花の春

 小林一茶の句ではありませんが、私が阿闍梨にお会いできて、こうして皆さんと遊べるチャンスを得られましたのも、それはみ仏のお導きと感謝しております。

 いつの時代でも、それなりの問題を与えられ、次から次へと起こってきて不安を募らせてきました。景気に左右されない私の姿を羨ましがられる人達には、小さい頃に親の言うことを良く聞いて勉強したから、今皆さんからみて楽させていただいています、と冗談を交わしておりますが。私だって、皆さんと一緒で色々な悩みが火の粉のように降り掛かり逃げ惑っております。

 以前と違ったなと感じるのは、少しも慌てずに戸惑わなくなったことです。心にちょっとした余裕を育てていただいているおかげでしょうか。安穏な生活に退屈しないように、無理難題を投げよこしてござる、と待てる余裕なのです。ちゃらんぽらんではないのです。ちゃあんと真剣に受け止めて、真剣に考えますが、時として心のどこかに、手を合わせて何とかしてと悲壮な気持になれるのも、恵照には阿闍梨がついているからこそ、遠く離れていても自然に合掌スタイルになってしまうのです。トンカチ頭で運動不足の音がしているなと感じながらも、今何が重要で何を優先すべきなのだ、と真剣面して洗面台の鏡に向かって自問自答して、問題を整理しております。『バカだね! そんなことにクヨクヨ悩んでいるの』と向こうから笑われてハタと気づきスッキリするときもたまにはあります。ちょっとしたことが心の拠り所なのです。

 JR東海のPRに便乗するわけではございませんが、飛騨路へ皆さんに足を運んでいただけるために、毎月11日と26日は『いい風呂』、同じく11日と29日は『いい肉(飛騨牛)』と、下呂・高山の観光キャンペーンをやっております。是非、飛騨路下呂温泉へお出かけいただき、当寺へもお立ち寄りください。街中と違って、ざわざわしていない所に身を置いて、『福うどん』をすすってごらんなさいよ、何かあなたにヒントを与えていただけるものと確信しております。

感謝合掌

恵照

 寒さが厳しい折です。カゼに注意して、お身体をご自愛いただき、この難局を乗り切りましょう。

独白 其の拾壱

 皆さん、お元気ですか?

 和菓子屋さんの店先に桜もちが登場しました。寒い寒いと震えていましたが、春がすぐそこまで来ているのです。いい風が吹いて景気と春が一緒に飛んできてくれるといいのですがね。お楽しみです。

 このページも二ケタの回数になり、娘が言うのには、毎回同じことばかり書いているのではないの、と批判を受けました。今までバックナンバーがなく、毎回ページが更新されていましたので、淋しい思いと安心との複雑な気持でしたが、妙翠さんが余計なことに、バックナンバーにしてくれました。雑文なりに、自分に言い聞かせるように繰り返して使っている文があったことは、娘に指摘されずとも承知しています。これは私なりの学習なのです。この『学習』の『習』の字には羽が付いております。鳥さんは意識せずに羽ばたいているから飛べるのだと教えていただき、意識から無意識に為せるように、繰り返しているのでございます。書き手と読み手の違いです。手厳しい批評ですが、娘はこの原稿の検閲者なのです。国語3レベルの読み手が理解できないことには、このコーナーに皆さんも手を止めてくれないでしょう。

 実は、現在娘に手を焼いております。仕事と遊びにかまけて、子育てを妻に任せきりにしていたタタリと反省していますが。若に相談すると、父親の姿でなく、お坊さんの姿・格好で話し合えばいいのではないかと教えていただけるのですが、相手は父親の素性を十分承知している輩です。下呂に行って今日はああだった、こうだったと正直に喋っていますので、ズル賢い娘はサラッと交わして前に座ってくれません。でも、このホームページの検閲者であり、唯一の愛読者と理解しております。

 この娘が中学三年生の時、単身赴任していた私は、娘に絵ハガキの文通を提案しました。電話での音信は愛想がないし、真っ暗な部屋に帰ったとき、絵ハガキ一枚がお父さんを元気にしてくれるとお願いして、何とかスケバングループに走りこむのを止められたというのが実情でした。絵ハガキは宛て名スペースに半分とられるので、美辞麗句の文章でなくてもよく、元気の出る言葉で満足なのです。年頃の娘心を引きつける絵ハガキを捜し求めた楽しい思い出が、今もこうして文章添削担当者に指名できたのです。

 誤字脱字を見つけてくれるということは、まかりなりにも私の考え方に眼を通してくれているのです。百パーセント理解してもらえるものではないのです。ハナであしらわれているかもしれませんが、お坊さんの真似をして遊んでいる父親像を写真におさめてくれたのも、間違いなく娘でした。このホームページを担当させていただいて、娘とこの原稿を通じて、会話でない会話が復活したと喜んでいる次第なのです。

 今回も下呂温泉のPRに一役買ってでますが、こちらでは手作り絵ハガキが楽しめます。チョットした絵や文字が、お友だちやご家族の誰かに元気を与えてくれるのではないでしょうか。ケイタイの絵文字で遊ぶ世代には、昔々の恋文・ラブレターを書き悩む姿を教えてあげたい今日この頃です。この手紙であの娘が好いてくれるのか、と何度も何度も書き破った良き時代を。

感謝合掌

恵照

独白 其の拾弐

 みなさん、お元気ですか!

「ブタもおだてりゃ木に登る」ではございませんが、猫の手も借りたいほど人手を欲しがっていた時代に、こんなことを先輩に言われました。

『三つのツキが重なったとき、それは運になる。三つの運が重なれば、それは実力となる』

 ツキや運の大切さが必要なことは痛切にわかるのですが、その当時は、運だけに頼って周囲の眼を疎んじている自分が嫌でした。ないものねだりではありませんが、実力も備わっていないのに、また、これといった努力・精進を怠っているにもかかわらず、実力という二文字のみを求める情けない姿に気づき、おののいていたのです。そんな逃げ腰の私を見かねたのか、先輩が『早春には、早春らしく冷たい風が吹き、時には雪も舞う。そんな中でも、厳しさに耐え抜ける素地を身につけよ』とアドバイスをくれました。この話を聞いて、それまでのツキや運も実力のうちと、『凄い奴』と思わしめるダマシのテクニックだけではダメなのではと思うようになりました。

 それからは、遅まきながらも少しずつ歩めば、いつしか光る奴になれると信じて、マナブはマネルからとニガ手の酒席にも身を置きました。先輩・同僚の話に耳を傾け、見逃さない、聞き逃さない、ダマされて元々、と教えられたことをドンドン試し身につけました。仕事の成果にはすぐに結びつかずとも、何か目新しいものを持って帰るといった貪欲な姿勢が弱い心を勇気づけてくれました。周りの人間には、「あれは危ない、イヤな奴だ」と言われても、人間生かされている以上、何か良いものを持っているに違いないと飛び込んでいきました。

 先ずは、その人間・会社の一番強いもの・魅力は何か、欠点や短所には眼をつぶり捜してみる。本物を観る眼力を養うのです。

 最初のうちは、眼が肥えていませんから、何度か失敗もしてしまいますが、常に良いものを捜し求めていますので、人前に出るのに尻込みしておれません。また、真剣に見聞きするのですから、相手の話には眼を輝かし、話ベタなうちには、感嘆符を交えた相づちで話をはぐらかさないようにしました。そうなると、素直に「ありがとうございます」「お世話かけます」などといった言葉が、何のためらいもなく使えるようになり、教わる機会にめぐり逢えたことに感謝の念も育てていただきました。

 後のことですが、脱サラ詩人・山本良樹氏の

『叱られた君に』

磨き粉があるから ものが光る

磨いてくれる人がいるから 人間が光る

嫌な人は みーんな磨き粉

だから磨き粉にありがとう

という詩にブチあたったとき、やっぱし間違っていなかったと独りニガ笑いしたものです。

 これからも、このコーナーを通じて、皆さんとの楽しい出逢いを大切にして精進させていただきます。

感謝合掌

恵照