独白 其の拾六

お暑うございますが、皆さんお元気ですか?

 例年でしたらアユ本番と楽しいシーズンなのですが、今年は台風が次々と日本付近へ遊びに押しかけてきましたので、河は増水し濁りアユさん流されてしまいはしないかとヒヤヒヤしております。竿が出せないのを承知で河の状況を見に行くバカ! でもこれがまた釣りバカには楽しいひとときなのです。堤防のここまで水がきたのだと指してくれる地元の人達との会話が、日頃の気疲れを癒してくれるのです。

 ということで今回は原稿が遅れてしまいごめんなさいね。

 それにしても思わぬ大雨となって水害の被害者の皆さまには「大変でしたね」とお見舞い申し上げます。

 小学校時代に、姉と映画を観に行きまして、気がついたら足元が水びたし、あわてて姉と帰る途中の道路が川の流れ、消防団のおじさんに手を引かれて帰宅した恐さは忘れられません。帰宅してホッとする間もなく『自然の力をなめたらいかん』と両親にドナラレて姉と二人涙を流してすくんだものです。

 地震・カミナリ・火事・オヤジと恐いものの決まり文句も、時代の流れというか、オヤジさんたちの威厳もカタなしに崩れ落ちてきましたが、お不動さんの眼は、いくつになっても恐いですな。

 実家にはお不動さんを祭ってありまして、小さい頃から、朝晩親父が手を合わせている姿を眺めていましたので、あの恐いオヤジが手を合わせているから、余計に恐ろしいものだと自然に植え付けられたのでしょう。その頃は神さまと仏さまの違いはわからず、柏手を打ったり、静かに手を合わせたりしたものです。ワル知恵がつくうちに、無いものねだりではありませんが、一夜漬けにかかわらずテストのヤマがあたりますように、とお祈りしてすがったものでした。

 いつも母から、家の守り本尊さんだよと教えられ、近所で火事があっても、家に水をふりかけてくれ守っていてござるから安心だけど、「火遊びは絶対やっちゃいかん」とお不動さんの前で窘められたものです。

 この世の中、知らぬホトケではありませんが、コワイもの知らずにヌケヌケと澄ました顔して、何事もなかったように成し遂げてから、他人さまから教えられヒヤッとしたことが何回もありますが、母ちゃん以外にひとつぐらい頭の上がらぬものがあったほうが、『火遊び』の戒めになるのではないでしょうか。

 このホームページ第一号で紹介させていただきましたが、恵照はご縁がありましてお不動さんの縁日28日が毎月の更新日であります。これも仏さまのお導きと感謝させていただき、夏バテの原稿の遅れをお不動さんにおすがりしてお許し願ってペンをおろさせていただきます。

感謝合掌

恵照

独白 其の拾七

 この夏もクラクラする日照の中、河に入り、糸ふけの目印を眼で追いながらアユさんに挑戦しているのですが、釣果なく淋しいシーズンです。アユさんがちっとも遊んでくれないので、オトリ屋のおじさん、おばさん相手に、世間話に花を咲かせる始末です。

 それにしても今年の夏は暑かったですね。陽が沈んでも気温が下がらず、熱帯夜が続き、いささかグッタリして原稿の筆先も鈍っております。精神を集中させて原稿に向かうのですが、あの時あれを書いてみようとしたのは何だっけと、想い巡らせているうちに、「暑いなあ、なんか冷たいものもらえる」と側でゴロゴロコロガッテいる母ちゃんと遣り取りして、嫌味のひとつも出ると一人淋しく冷蔵庫へ走り、ペンを休めてしまうともう次が続かないのであります。母ちゃん、ゴメン!

 ということで今回は毘沙門さんにおすがりさせていただきます。

 「毘沙門さん」という仏さまを知ったのは、NHK大河ドラマで題名は忘れてしまいましたが、俳優石坂浩二さんが上杉謙信の役をなされたドラマで、謙信が幼名「虎千代」のとき、毘沙門さんに手を合わせるシーンがありました。子役の方の演技がどこか泣かせるものがあり、強烈に焼きついたのでしょう。

 謙信は戦国武将の中にあっては、篤き信仰心の持ち主であります。子供の頃から、信玄と謙信との川中島の戦いを眼にしていましたが、どうして謙信が甲を被らず、黒い頭巾や法衣を着てお坊さんの姿絵が多いのか不思議でした。

 飛騨信貴山山王坊へお邪魔し、ご本尊が毘沙門さんと知り、改めて『毘沙門天』に興味が湧くと同時に、謙信と結びつけてしまっていたのです。この毘沙門天は、一般には多聞天といわれる仏で、仏さまを守護する四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の一人で、北方の守護神であると理解できるには、だいぶ時間がかかりました。京都の東寺へ参拝したときも、恥ずかしながら毘沙門さんはどこにお見えになるのかと捜し求めたのは昨日のようにございます。

 若とお逢いしたとき、自分は毘沙門さんを信じており、仏さまの中で唯一吉祥天というオンナの仏さまを奥さんにして五人の子供を授かっているから、その毘沙門さんにならって、男女五人の子供をもうけた、という話を伺い、その話のインパクトが強すぎて、多聞天と毘沙門天と同じ仏さまであることを、どこかで聞き逃してしまったのでしょう。

 話は少し前に戻りますが、戦国武将には少なからず仏教が絡んでおります。武将として殺戮を繰り返し、地獄への道を恐れた武将もいたかもしれませんが、生死を超える境地とともに部下や民衆の人心掌握と統率には欠かせないものであったのです。謙信に限らず、家康には天海和尚、と必ずや武将の取り巻きには僧侶が登場します。

 武将と仏僧、この二つの矛盾する姿が、現代社会においては忘れられようとしています。

 人との信義を守り、人への仁愛を施すという道徳心を、もう一度考えていただければ、もっともっと住み心地のいい社会ができるのではないでしょうか。

 困ったときの神頼みではございませんが、今回は毘沙門さんに登場していただき、紙面を埋めることができました。それでは、またお会いできることを楽しみにしております。

感謝合掌

恵照

独白 其の拾八

みなさん お元気ですか!

 この夏、昨年秋口に産まれたメスネコがまだ子猫と油断していたら、裏の物置小屋から、ミャーミャーと泣く声、一匹の芋虫のように動く子猫を発見 家中が大さわぎと なりました。 母ちゃんから、乳首が見えておかしいと告げられていたのですが、腹ボテでもなくサカリの前兆とタカをくくっていたのが失敗でした。

 このメスネコの母親は、はやりの現代っ子で 乳ばなれが済むとすぐに、私どもに子育てを依頼し こんな子は知らぬ存ぜぬの涼しい顔して、朝夕餌食べにくる正に畜生です。

 そんな母親に捨てられ、小さなうちからお世話させていただいたメスネコも、
それはドライで風通しの悪い場所から、私の布団へ移動し 「ネェ、ちょっと暑いから  お願い」とばかりに、おびえることもなく、悪びれることもなく親子で涼しい場所を選んで寝転がっている姿には、今まで何匹となく世話してきた私どももあきれております。

 人間なら幼稚園か小学校の年代のメスネコですが、学校も行かず勉強らしい勉強もさせていないのに、乳首をくわえさせ身体をなめまわすシグサには 動物の本能の  偉大さに感心させられます。

 腹が減ると餌をねだったり、身体がカユイと媚びる愛想にほだされて、せっせっと世話しているのですが、畜生丸出しのありのままに生きる姿に羨ましくなります。

 それに比べると人間はありのままに生きる事を ことさら難しくしている人が多くありませんか。 自分の持ち味を忘れてしまい、なかなか周囲と馴染めず、ひそかに疎外感を 味わっている人が眼につきます。

 自分で自分を嫌味な人間に追い込んだり如才なくやろうとすればするほど不器用な生き方に溜め息をつき、自分で自分をイジメているに違いありません。

 不器用なら不器用なまま 飾ることなく素直に自分の持ち味を出していただければ良いのです。それぞれ長所、短所があります。足りないところを補い合うのが人間社会なのです。

 現在、七匹の猫が家を出入りしておりますが、どれをとってもそっくりさんはいません。同じ母親から産まれ、同じ餌を食べているにもかかわらず、毛色・柄が様々です。
 そのうえ、性格も一匹一匹が異なり領分を分きまえて暮らしています。 人間とネコを 一緒にして考えている訳ではないのですが、もっともっとありのままに自分にしかない 持ち味を素直に出していただければ、社会にスムーズに融け込めるのではないでしょうか。

 折角この世に生命をいただいた人生です。そんなにクヨクヨせずに今を存分に
生きましょうよ。 それでも もっと良くしたいと思われる人は ご遠慮なく人生のアドバイスを当寺の若にお求め下さい。

それではまた お会いできることを楽しみにしております。

感謝合掌

恵照

 妙翠さんが、4月からしばらく高野山にあがられることになり、妙翠さんに代わり私「遵鈴」(じゅんれい) がこのホームページを引き継ぐ事になりました。なれない為 とてもアップロードするのが大変遅くなりました事を、ここにお詫び致します。

 妙翠さんに教わりながらやっておりますので、まだまだ勉強中でありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 妙翠さんは、高野山で よりすばらしいお坊さんになられますので みなさん応援してくださいね。

 4月からメールはこの遵鈴あてに下さいね。妙翠さんは高野山にあがられるので、メールは私が担当します。よろしくお願いいたします。

                                            遵鈴

独白 其の拾九

みなさん お元気ですか!

私の職業は、文字と数字だけの形のない、眼には見えない商品を販売しております

それがゆえに、お客さまとの会話が仕事の成果に左右され、スムーズにコトが運ぶときと、その一言がボタンの掛け間違いとなって、ご納得いただけるのに時間がかかり、いかに言いたいことを上手く伝えるか苦心しています。

一つの商品が売れるかどうかは、その品物自体のよしあしによることは もちろんですが、最近は、会社や商店のイメージの比重が大きくなり、態度や物腰に十分気をつけざるを得なくなったことは、皆さんもご同様かと存じます。

会社では最古参の一員ですが、私も入社当時からベラベラ まな板に水がごとく喋べれたわけではありません。

自称紅顔の美少年でしたが、どちらかというと田舎育ちで、いいとこのお坊ちゃんでしたから、ややもすると赤面症とも思える性格で、どうしたら先輩のように振る舞えるようになるのかと不安な毎日でした。

入社当時、上司は研修会議の席上で 「3分間スピーチ」 を取り上げられ、自分の体験や抱負を発表させられましたが、最初のうちは次に自分の順番かと、前にお話しなさっている方の話題が耳に入らず、先輩から突如 「次の奴、今の話についてどう考える」と、何か見透かれたような質問が飛び出し、真っ赤になって立ちすくんだのが昨日のようにございます。

まあ、こういった苦い経験が、先ずは他人の話を聴きのがさない姿勢を育ててくれたのかも知れませんが、聴くことの大切さを教えていただいたと感謝しています。

この「3分間スピーチ」を通じて、話の取り溜めがなく、何を言いたいのか さっぱりわからない人にも出会えました。 限られた時間の中で、相手に伝えるには構成をきちんと立てて話をする機会を繰り返したおかげで、日頃からのコミュニケーションも大切にするようになり、職場の誰かまわずに会話するようになれました。

一所懸命に先輩たちの話に耳を傾け、相槌を打ち、知らない言葉や字句には、その場で聞き直し教えていただくうちに、上司や先輩のおぼえも良くなり、いつしか信頼していただけるようになったのです。

うまく話すことより、うまく聴くことが一番大切だと気がつき、お客さんの信頼を得るためには、お客さんの立場になって、相手の話を引き出すような会話を心がけました。  いわゆる 「話上手は聴き上手」 に徹したから、今日まで会社に生き残れ、いい母ちゃんを女房に出来たのかも知れませんね。

気のない相槌は母ちゃんが怒ります。 くれぐれもお気をつけあそばせ!

                                         感謝合掌

恵照

 妙翠さんが、4月からしばらく高野山にあがられることになり、妙翠さんに代わり私「遵鈴」(じゅんれい) がこのホームページを引き継ぐ事になりました。なれない為 とてもアップロードするのが大変遅くなりました事を、ここにお詫び致します。

 妙翠さんに教わりながらやっておりますので、まだまだ勉強中でありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 妙翠さんは、高野山で よりすばらしいお坊さんになられますので みなさん応援してくださいね。

 4月からメールはこの遵鈴あてに下さいね。妙翠さんは高野山にあがられるので、メールは私が担当します。よろしくお願いいたします。

                                            遵鈴

独白 其の弐拾

みなさん お元気ですか!

このコーナーを担当してから、早くも20回となりました。
この間みなさんと、ご一緒して今まで以上に少しでも幸福になりたいと、
ペンを執りながら勉強させていただいております。

こうしてこの紙面に向かうときは、あの時はああすれば、
こうすれば良かったのにと、自分で反省したりして、心の整理をさせて
いただける貴重な時間でもあります。

他人さまには、ああだ、こうだと偉そうに難クセめいた説教する割りには、
いざ自分のことになると、いつまでたってもからっきし駄目なのです。

停年までもうしばらく、現場の第一線で指揮とるかたわら、後継者の
早期育成が重要課題であります。

割り切って考えれば、何も悩むことなく その日暮らしのいい身分で
おれるのですが、そこが元来のお節介な性分がゆえに、知らぬ存ぜぬと
見て見ぬ振りのできない悲しさです。

母ちゃんにも、「損な性分だね。だけどそれがアンタの善いとこなの」 と
なぐさめられたり、はげまされております。

私の仕事は、色々様々なお客さんと面談させて いただきますから、
各種法律知識からあらゆる業界用語や商慣習に至るまで、
さまざまな知識、情報に精通するとともに、接客としてのマナーが
必要とされます。

こんなことは、どこの社会でも当たり前なのですが、いつしか当たり前が
当たり前でなく理屈に合わないことが多くなっています。

「バカ野郎、へ理屈言わずに早くやらんか」 と、どやしまくられて育てられた
世代には、理論的に質問されても答えられない事が多々ありますが
理屈に合わないと思いながらも、若い頃はそのまま覚えさせられました。

経文の読経と同じじゃないでしょうか。 最初から、経文の一字一句を
解釈する学者さんは別にして、日々読み上げているうちに、
空おぼえして、親しむうちに仏さまの教えに近づけ 「なるほど」 と
うなづけれるのではないでしょうか。

私も、親の言うことも聞かずに、勉強を放ったらかして 読み書きソロバン
程度の学問で、今日まで現場の第一線を走り廻ってきました。
じゃ、どこがどう違うのかと、これがまた言葉では説明しにくいから、
理屈じゃないと言わざるを得ないのです。

色々な現場で、場数をこなしていくうちに、ハシにも棒にもかからなかった小僧を
温かく見守っていただいた先輩たちの教えを、これからの世代を背負ってくれる
後輩たちに、それこそ、理屈じゃなく、無理にでも伝えなければならないと
考えざるを得ない今日なのです。

かの聖人たちが 「南無阿弥陀仏」 とか 「南無妙法蓮華経」 と
お念仏やお題目を唱えていただければ、極楽へ行けますよという言葉を
信じた人たちの素直な心が今日必要ではないのでしょうか。

妙翠さん今日もお忙しい中、このページをパソコンに打ち込んで
いただきありがとう。 みなさんが幸福になって欲しいのです。
欲張りかな!

                                         感謝合掌

恵照

独白 其の弐拾壱

みなさん ごぶさたしておりましたが、お元気でしょうか。

 しばらくお休みさせていただき、改めてペンを執ろうとしたのですが、
筆が進めなくて遵鈴さんが、イライラして待っているだろうなーと
反省しながらも今日に至ってしまい、申訳けありませんでした。

 いったん流れから遠去かり、よどみにとどまると、なかなか本流へ
戻りづらいものです。
 このような紙面を担当させていただいている身でありながら、
自分を見失う恥ずかしい姿になりさがり、もがき苦しんで悩めば悩むほど
人間不信に落ち込んでしまい、恥ずかしくてペンが執れなかったのであります。
 今まで仏さまに近づけれるようにと、お坊さんの真似して遊んでいますなんて
ようも言えたもんだと・・・・・・。
 でも、ありがたいもんです。お釈迦さまは何度も失敗しなさい、その都度
もう一度やり直しすればよいという教えを憶い出して、少し楽になりました。

 元来、小心者ですから他人さまの顔色をうかがいすぎる悪いクセが
出てしまうのです。
 でも自分の小心をなじるつもりはありません。 今まで小心者がゆえに、
チャンスがくるまで身をひそめて耐え、いざここというときに飛び出してきたからこそ
ここまで生き残れてきたのです。
 先日、海岸線の道路のガケに根を張る松の木の老木を見て驚かされました。
というのは、風雨で土が流されたのか太い根がガケから丸見えなのに
ガケに張りつくように根を張り、青々とした松の枝ぶりを支えているのです。
下の道路から見上げながら、これは凄いやと、しばらくあっけにとらわれて
眺めておりました。 へこたれない松の木が、弱い私を
 「まだまだ倒れてなるものか」 と教えてくれたのです。
樹木でさえ自然としのぎをけずっているのに、弱音をはいているヒマがあるのかと。

松の木の根は見えている根だけではなく、その先の細い根や、他の太い根たちが
存在するからこそ、堂々とガケに張りついていたのです。
 自分の弱い面だけをさらけだして、クヨクヨ悩んでいる自分にも、この松の木と
同じようにどこかに強いものがあるはずだと気づかせてくれたのです。
 他人さまには、ちょっとしたお世辞など言って和らげれるのに、自分のことになると
なかなかゴマカスことができないんですね。
 阿闍梨に相談して、グチを聞いていただき
 「最後は許したげる度量を持っていてね」 と、聞いているのですが
考えに幅のないときというものは、頭で分かっていてもなかなか思いどおりに
ゆかぬつらさを久しぶりに味わった次第であります。
 なんでこうなるのという理由は、もう少し先になってから題材にさせて
いただくことにしまして、今回は原稿が書けなかった情況のみにさせていただきます。

 もう一度 「遵鈴さん遅くなってゴメンナサイ。これからちゃんと送るね」 と
お詫びして今回はここまでにさせていただきます。
 またお会いできる機会を楽しみにしています。

                                         感謝合掌

恵照

独白 其の弐拾弐

 みなさん お元気ですか!

 今年5月5日「こどもの日」の中日新聞に 小学生の約四割が尊敬する人は
「親」という大見出しの記事が目に飛び込みました。

 子供たちの半数近くが、身近かな親を目標にしており、父親や母親が厳しいと
認識していない理由としては、「ちゃんとした大人に、なれそうだから」、
「悪いことをしなくなる」 とか「けじめが必要」 なんて答えてくれる子供たちが、
まだこの日本にいるんだと知って、世の中捨てたもんじゃないと嬉しくなりました。

 街のいたるところで、しゃがみこんでダベリ合っている若者たちの姿に、将来
この日本どうなるのやらという不安な心を吹き飛ばしてくれる記事であり、
これからもこの子供たちのお手本になれるよう、もっと正しい生き方を
しなければならないと勇気づけられました。

 子供たちは親に対して、「もっと自分にかかわってほしい」 と、親に対する
期待や願望を抱いているのです。 みなさんお仕事や遊びにかまけて
ばかりいないで、ときには親子の関係が密接なうちに、親子の距離を十分
近づけるようにしましょうね。

 「孝行したいときには親はなし」 ではないですが、一昨年の春 母が亡くなり、
故郷で葬式を済ませ飛騨信貴山を訪ね、阿闍梨に報告し、本堂で母の供養の
お経をあげていただくことになりました。
 「今からお経をあげるけど、このお経は長いから楽にしていて結構ですよ」
と始まり、初めてのなじみのない読経を拝聴しているうちに、亡くなった母の
面影が走馬灯のごとく頭の中を駆け巡った途端、お経の一字一句が胸に
突きささりだすやら、涙があふれだすはで、ここまで大きく育てていただいた
両親に、どことなく冷たくあしらってきた自分のおこないを反省させられるという
摩訶不思議な気分を味わったことが、阿闍梨に対する畏敬の念となったのでした。

読経後、阿闍梨は私の心を見すかしたように、「これ欲しいんでしょう」 と手に
させて、いただいたのが「仏説父母恩重経」 との出逢いでした。

 誠にお恥ずかしい次第ですが、私は今だ年老いた父とはしっくりいかず、
反発し合って好きになれず、阿闍梨からも「いい加減に許してあげなさい」 と
たしなめられるのですが、父と面と向かい合うと、ついムラムラしてしまい
困っております。

 「カエルの子はカエル」 なのでしょう。  お互い負けず嫌いの気性が禍いしてか、
よりを戻せないままなのですが、ご先祖さまの命日などに般若心経などの
お経に続いて、この「仏説父母恩重経」 を読経し、その時には
「父ちゃんゴメンネ」 と心の中で手を合わしておるんですよ。

 梅雨明けまでもうしばらく、食中毒などお体に気をつけて下さい。

                                         感謝合掌

恵照

独白 其の弐拾参

 みなさん お元気ですか!

 今年の夏は、長雨続きで日照時間が少なく、川の鮎さんたちの
成育も今ひとつです。

 現代社会は、より高度なもの、より強いもの、より速いもの、といったことを求め続けております。 子供の頃に比べりゃ、それは便利な世の中になったもんだと感心しますが、私に限らず皆さんの中にも今ひとつ何か足らないと不満な気持ちにさせられていませんか。

 私の産まれた町は、三方を山で囲まれた港町です。港祭りの花火は、
大屋根の上から眺めていたものです。 今のように電気がふんだんに使える時代で
なかったので、屋根から見える星空は実にきれいでした。
そんな闇の中をスー と花火が打ち上げられ、パァー と大輪に拡がったときの
美しさと、山々に響く音の大きさも、すごかった記憶があります。
現代のようにネオン輝く灰色の空に、ポンポンと連続して打ち上げられる花火の
すさまじさと違い、次は何色か、尺玉のでっかい奴かと、空を見上げて待つ
のんびりした時間が失われてしまいました。

 世の中は、いつしか夜も昼もみさかいなく活動するようになり、闇夜が嫌われ、
闇に親しむこともなくなりました。
 蚊帳の中にホタルを放ち、親父からユウレイや怪談の話を聞けるのが、
恐いながらも夏の楽しみでありました。 人にイタズラしたり、イジメたり悪いことを
しでかすと恐い目に合うことを教えられたのです。ホラー映画が氾濫している
現代とは違って、ユウレイやエンマさまがとてつもないコワイ存在だったのです。
途中小便がしたくなるとまっ暗な便所へひとりで行けなくなるので、親父の
話の前には必ず、用便を済ますことも教わり寝小便も少なかったのでしょう。

 うちの親父だけでなく、近所のおじさん、おばさんやお兄ちゃん、
お姉ちゃんたちからも色々と話を聞かされ、社会生活のルールを
身につけされたのです。話を聞いていても、その場面の情景を交えてのお話ですから、
地獄絵図を見てなくても、血の海、針の山などが浮かび、嘘をつくと地獄へ行くんだと教わったのです。

 美容院へ行ってコザッパリしてきた母ちゃんに、さりげなく「今日はキレイだね」 と
お世辞めいたウソは、「嘘も方便」 で済まされますが、ウソツキは裏切者の
レッテルをはられるのが世の中のしきたり、人間社会のルールなんてことが
身につけられたのです。

 子供さんの教育、躾を絵本やテレビでの情操教育にほんろうするお母さん、
子供さんの枕元でささやいてあげてみてはいかが、特に幼児期に耳にしたことは
大きくなってからも、頭のどこかに残っており、ワルサの歯止めになるものなのです。
昔から語りつながれてきたお話は、大きくなって色々体験して身にしみついて
いるからこそ、わが子に教えたい親心なのです。
 骨折って損しちゃ駄目な世の中だからこそ、今一度骨折って得することはないかも
知れないが、それをおそれぬ子供たちを育てておかないと益々暗いニュースばかりの
世の中になりはしないかと心配になります。

街の中では、音を消し去ることはできませんが、せめて部屋の中を暗闇に戻して、
ご両親などから聞かされ育ったお話を可愛い子供さんにしてあげてください。

 寝冷えしないように、腹の上にバスタオルを掛けておやすみ下さいね。

                                         感謝合掌

恵照

独白 其の弐拾四

 みなさん お久し振りですがお元気

  何かしら心の中に、低気圧の前線が居座り続け、紙面に向かえず
今日まできてしまい申し訳ありません。
  11月第二日曜日は、当寺の七福神祭。 行かなきゃならぬのにと思いながらも
原稿できてない。 困った困ったと余計にあせってしまうのであります。
  ご心配いりません。書くのを止めたのではなく、書けないから一旦停止している
だけですからご安心下さい。
  平常が口先三寸ではありませんが、お喋りで済ませている仕事柄か、
いい加減な言葉で何となくごまかしているのに、いざ紙面に向かうと読み返しが
できるがゆえ、つい慎重にならざるを得ないのです。

 昔、私の先輩で仕事の指示する際、そこに居合わせた人にメモをとらせる
有名な人がいました。 初回はそんなクセがある方とは、つゆ知らずハナで
あしらって、へのへのもへと書くマネしていたら、突然 「おい、次は何番目になった」
と、指摘され、あわててお隣さんのメモ見て 「4番目です」 と答えたものです。
 この先輩がどこへ行っても、メモとらさせるのですから、いつの間にか 「門前の小僧の
お経」 ではありませんが、また始まったと思いながらもメモとるものの、それこそ原稿を
見ていないにもかかわらず、喋る順序と一字一句読み間違えないことに感心させ
られました。
 お仕えしたのは一年でしたが、たまったメモを見直した時も、ようもこれまで毎度
毎度同じことが言えたものだと納得したものです。
 

 仏教の経典の始まりは、これと同じでお釈迦さまが、お弟子さんや民衆の前で仏
の道を説かれたとき、場所や人を見て使い分けて説いたのでなく、一字一句意味を
こめてお話いただき、それを石や木片に刻んで残していただいたからこそ今日まで
伝えられたのです。
 そのメモもそうですが、仕事の目的とか手順はわかるものの、成し遂げたときの成果
について答えがないのです。今から思えば、お経と同じです。ありがたいことを説かれているなと感心するのですが、いざ実践するなりにあたってさあどうなるかといえば、うーん
難しいなという一語につきるのではないでしょうか。
 答えがわからなかったからこそ、答えを求めてそれなりに創意工夫して取り組ませて
いただいたので、今日のポストにあるのかもしれませんね。参考書の答えを見て勉強
していては身につかないのに似ているのです。
 答えが見出せないつらさ程つらいものはないことは、皆さんもご承知のとおりです。
 それがゆえに、答えが見つかったときの喜びの大きさは、やった人でしか味わえない
のではないでしょか。
 人の道に外れないように導かれていると理解している恵照には、答えはひとつでは
ないのです。その局面、局面によって答えはひとつではなく答えはいくつもあるものよと
おおざっぱな考えに導いてくださるのです。
 仏さまが 「書けぬのなら書くまでもなし」 と訳もわからぬこといってるうちに、今日も
これだけの字数で紙面を埋めさせていただきました。お付き合いいただきありがどうございます。
 足の向くまま気の向くまま、飛騨信貴山へ遊びにお越し下さい。ニコニコ顔した
七福神がお迎えしてくれますよ。 お待ちしておりますね。
 

                                         感謝合掌

恵照

独白 其の弐拾五

 ごぶさたしていて ごめんなさい!

 ズル休みが続くとズルズル休稿してしまい、何て言い訳しようかと無い頭をひねって
いたら、バチが当たったのか体に発疹が出て苦しんでおります。

 自分なりには、目立たぬように、悪い遊びにも遠ざかるようにと仏さまにちゃんと手を
合わせているのに、毎晩カユミちゃんがかき起こしてくれます。病院の皮膚科で診察
してもらい、色々な投薬・塗り薬をいただいて挑戦するのですが、カユミちゃんは体に
へばりつきなついて離れてくれません。
 周囲の人はこの苦しみをわかってくれません。ウデまくりして「こんな発疹がウデ・
カラダ・足に出ているんだ」とわめきちらすのが精一杯です。
 良き理解者は母ちゃんだけ。手の届かぬ背中に薬を塗ってもらわなきゃならない
ので、今のところこちらから間違っても、ケンカをふっかけることはできないんですよ。
 お医者さんも「いったい何んだろうね」と首をかしげられても、食あたりするような変な
ものを食べたことにも思いあたらないし、原因不明のカユミちゃんです。

 お仕事はおかげさまで、それなりに順調だし、誰かにイジメラレルなんて悪さもして
いないんですが、周囲はストレスじゃないのと同情はしてくれます。
 いいトシこいたオッサンが、クヨクヨしたって「なるようにならないこの世の中、思うがまま
にならないことを、思うがままにしようとしてもムダ」と、仏さまに近づけれるようにと
いそしんでおるのですから、チョットしたストレスに滅入ることはないんですが、少し自信
を失いかけております。

 元来どちらかというと皮膚は弱く、夏になるといち早く蚊取り線香をたき、一匹でも
飛ぶと大さわぎしてます。でも最近は少し成長してか、血をいっぱい吸わせた挙句
止まったところをピシャッと叩くようになりました。

 血液検査結果からは特に異常数値もなく、食アタリのジンマシンでもないことから、
食べたいものは食べ通じも良いのに、やっぱり加齢によるストレスかと開き直る始末
で、重い腰を上げて今日こうしてペンを執っております。
 どこへもってゆこうにも文句が言えず紙面に書いている間も、ポリポリかきまくっていま
すが、久しぶりの原稿に気を紛らすことができました。

 みんながそれぞれに自分の自慢や、悩み等を相手に共感や同意を求め、自分を
中心に考えて話をしたがり、やっぱり自分も同じことをしているんだなと原稿を読み
返しながら、改めて反省しております。

 でも今日の幸せは、なんといったって滞っていた原稿を一気に仕上げたことです。
 カユミちゃんありがとう。あんたのおかげで紙面を埋めさせていただきましたよ。

                                         感謝合掌

恵照