妙音妙音

人の耳には目覚めたその瞬間から、いろいろな音が入ってくる。車の走る音、風のある日には風の音、そういえば、近頃子供の声が昔のように聞こえなくなったのは、戸外で遊ぶことが少なくなってしまったせいだろう。子供達が四季の変化を喜びながら、声をはりあげて明るく遊び戯れることのできる、ゆとりのある世の中にと願わずにはいられない。ともかく、音は一日中、種々雑多に……、しかし、それがどれほど耳に残っているだろうか。音を感受する器官はうまく出来ていて、大切なことは心の奥まで伝達してくれ感動を与えてくれることも、更に記憶として心に刻まれてゆくこともある。

今日はお釈迦様の生誕日、信貴山で説法を拝聴、心洗われた思いでの帰り道、こんもりとした木立の中から、冴えた鶯の声、明るくまるで語りかけてくれるかのように、思わず立ち止まってしまう。まさに天然の音楽、歩いていると、思いもかけない無形の収穫をいただく。お山の空気と、さわさわと松、竹を渡る風の音、時折は自然の妙音に耳を傾けてみたい……、としみじみ思う。このひとときの感動を書作品に表現出来ないものかと思いつつ、筆をとり、紙と向かい合ったものの、書き上げたものに自らの拙筆を思い知らされるばかり、鳥のさえずりに日々精進を教えられた。

智音