高野山に於いて、弘法大師が金堂で「大日経」の礼讃講義したのを始まりとし、承和元年(八三四年)に大師入定した後は二人の大徳により、脈々と講義・修学が受け継がれていく。
大師より東寺(京都)を継いだ弟子・実慧大徳は伝法会を開き、経・律・論・疏の講筵をする。
大師入定の地・高野山(和歌山)では、大師の跡を継ぎ高野山を任された弟子の真然大徳が同じく伝法会を開き、それを伝法二会式とした。
伝法二会式とは、法門を伝授する修学会と伝授受学した法門の義を練る練学会である。
この二会の行なわれる間は、「たとい骨肉近親の者といえども、座を交わることを得ず」と厳しい掟のもとに研修させられた。
弘法大師によって開かれたこの伝法会は伝法二会式(通称・勧学会)と、改めながらも脈々と受け継がれ、現在まで相続されてきている。
この伝法二会式(通称・勧学会)に於いて修学し終えると、二者が論法にて対向する。その後、十五年から二十年を経て開壇される、学修大灌頂を受けることが出来る。
学修大灌頂を受けるためには、「一流伝授」を受け、『即身成仏』を実証するための、秘印と口決(真言)を相承する。
その「秘印と口決にて、永遠不滅の金剛定に住し、宇宙の大生命と融合する。そして、法身大日如来たる『遍照金剛の大師の御姿』に親しく手を触れ奉るのである。
そうすることによって、遍照金剛たる弘法大師の「みいのち」が授者である真言行者の全身全霊に編入する。
そして、その真言行者は『第二の遍照金剛(弘法大師)の身体』となり、「真言密教・最奥の阿闍梨位」に昇達するのである。
この阿闍梨を、高野山では『傳燈大阿闍梨』と呼んでいる。
(金剛峯寺第四〇三世座主 堀田真快書より抜粋)
当寺では、傳燈大阿闍梨が直接人生相談に応じております。